あいあむあいえむ

幸せになりたい。

日記(8/17)

今日は久々の休みだった。ダブルワークの名残で7/15〜8/15は6連勤13連勤6連勤みたいな頭の悪い生活をしていたがそれも昨日で終わり、現時点で確定してるシフトについては最大で3連勤とずいぶん身体と心に優しい生活になった。とりあえずは早起きに慣れたいのと早く寝られるようにしたい。

 

さて今日は部屋の片付けをした。かつての段ボールハウスの惨状や実際に遊びに来た人は知っていると思うがあいえむハウスは年中散らかっているのだ。パソコンの前と寝床が綺麗ならいいやという思想(実際に綺麗とは言ってない)でこの部屋に暮らして4年、染み付いた生活習慣は染み付いた汚れのように簡単になんとかできるものではない。床にはアマゾンの段ボールやホコリが溜まり、机の上にはモンスターエナジーの空き缶、ベッドの上には取り込んだ洗濯物、とそんな部屋に住んでいる。こんな部屋で平気で暮らせる人間の顔が見たくなったので鏡を見に行ったら具合が悪くなった。

 

今後の目標としては余計なものを買わない、ゴミはすぐまとめて捨てる、このあたりを意識していきたい。意識するだけでは当然変わらないが、それでも汚部屋で暮らすことに疑問を抱かないままでいるよりはいくらかマシというものだろう。

 

ところで先程も書いたように、習慣というものは簡単に変えられないもので、変えるには長い期間と大きな苦痛を必要とするものだと思う。そんなわけで今から書きたいのはTwitterの話だ。利用規約の変更があったのかTwitter社から提供される機能の問題なのかそういった事情はよく知らないが、サードパーティ製のクライアントでストリーム機能(公式アプリだと下に引っ張ってシュポッとやらないとタイムラインが更新されないが、ストリーム機能が搭載されていると自動で新しいツイートを表示してくれるアレ)が使えなくなった。これにより、今まで何もしなくても流れてたのに、わざわざ下に引っ張ってシュポッとする羽目になったのだ。下に引っ張ってシュポッ自体は大した手間ではないが、それでも以前と比べて圧倒的に煩わしさを感じる。便利であることに慣れてしまうと人間はここまでダメになってしまうのかと反省した。人間の退化をテクノロジーの進化で補っている気さえしてくる。

 

まあ別にいいのだ、自動で流れてたものを手動で動かさなきゃいけなくなったのは別にいいのだ。問題はその更新が「15分で15回」に制限されていることである。僕みたいな暇さえあればTwitterを眺めてるどころかTwitterを眺めるくらいしかすることがない暇人にとってこれはあまりにも厳しい制限だ。Twitter社の社員はTwitterを使っていないに違いない。エアプかよ開発やめろと言いたい。

 

幸か不幸か、バイト漬けの生活にいい加減慣れてきたように不便なTwitterにもやがて慣れていくことだろう。順応性バンザイ。しかし汚い部屋に順応する必要はなかった。順応性のバカ。

日記(8/15)

ついにコンビニバイトが終わった。と同時に1ヶ月続いたダブルワーク生活から解放された。コンビニでアルバイトを始めたのが去年の4月だったので、1年と4ヶ月の間コンビニで働いていたことになる。勤続1年4ヶ月は自己ベスト記録なのだが、よくもまあ続いたものだと自分でも思う。

 

食事補助即ち廃棄の弁当やおにぎり目当てで始めたこのアルバイトだったが、やめる理由になったのは接客のストレスが大きい。無事退職したのではっきり言ってしまうがとにかく頭の悪いお客様が多い。なぜこのお客様はこんなに頭が悪いんだろう、なぜこのお客様はこんなに頭が悪いのに偉そうなんだろう、なぜ僕はこんなに頭が悪いお客様にペコペコしてるんだろうと考えているうちに接客が嫌になってしまった。結論としては自分のメンタルの弱さと傲慢さ、要するに社会不適合度の高さが原因であった。早くうんちになりたい。

 

そういえば昨日は帰宅してそのままぶっ倒れてたので何もできなかった。せっかくゲームしようって誘ってもらったのに申し訳ない。ついでにブログも書けず、日記シリーズに空番ができてしまった。こっちは遅かれ早かれ途絶えることはあっただろうからまああまり気にしない。バイトは減ったが勤務時間は減らない。明日からも頑張ろう……。

日記(8/13)

今日も今日とてバイトだった。昨日の日記に書いたように、泣きながら8時に起きた。明日の僕がバイト先に向かう途中で10億円入ったアタッシュケースを拾いますようにとか書いておけば実現するかもしれないので書いてみる。明日の僕がバイト先に向かう途中で10億円入ったアタッシュケースを拾いますように。別にアタッシュケースとかアタッシェケースとかなんか銀色の鞄とか色々な呼び方があるあのアレじゃなくてコンビニのレジ袋に入ってても全然構わないので、とにかく10億円くらい拾いたいなぁと心から思う。

 

もういい加減バイトの話も書くことがなくなってきた。新しいバイトを始めて1ヶ月、まあ順調と言えると思う。ストレスフリーなルーチンを回すだけでお金が頂けるのであれば僕にとってこれ以上の仕事はない。終わり。

 

ところで先日PC版が発売されたMHWを買ってしまった。やりたいなぁって言いながら買ったのに、全くやる気が起きないのはなぜだろうか。こんな調子で何本もゲームを積んでいるのだが、DL販売のゲームの山は目に見えないのがいいところであり悪いところでもあると思う。物理的に邪魔にはならないが、物理的に楽しむことが出来ないとでも言えばいいだろうか。トイザらスでゲームソフトを買い、そわそわしながら家に帰り、封を破ってソフトと説明書を取り出す時の、あの感覚がそこにはない。別にゲームに限らず、本、CD、紙とペン、そういったものがどんどんデジタル化されていく中で、アナログ特有の価値が失われていく。デジタルの利点とアナログの歓びを天秤に掛けたとき、どちらに傾くかは個人の価値観によるだろう。自分は今後も様々なモノを実体のない形で手のひらの中に押し込んでいくだろうが、子供の頃に感じていた気持ちはいつまでも心の片隅にしまっておきたい。

 

そういえばTwitter電子書籍化の弊害として「親の本棚が家庭から消えること」を挙げるツイートがバズっていた。祖父母の家にも実家にも「親の本棚」がある環境で育った自分としては全面的に同意できる。僕は中高時代は某中古書店チェーンで100円の小説を買い漁っていた。小説を買ったお金は親が出してくれていた。自分がそこそこの大学に入れたのは両親の教育方針が良かったからだと思う。ちなみに自分が大学をやめる半歩手前まで来てしまった点については両親に非はないので、自分の場合は「育て方は間違っていなかったが育ち方を間違えてしまった」という感じなのだろう。心がしんどい。

 

何を書いても最後自虐に繋げて適当にオチをつける癖がつく前に真人間になりたいと思った。おやすみなさい。

日記(8/12)

明日は朝の9時からバイトらしいので早く寝ようと一瞬思ったのだが、まあ普段3時とかに寝てる人間が早寝できるわけもないよなあという極めて聡明な判断のもと2時半までゲームをしていた。この天才的な判断力に免じてせめて午後からにしてくれないだろうかとか宣ってみたものの、勤務時間が3時間減れば給料も3時間分減るのは自明でありそれは緩慢な自殺と同義だ。泣きながら8時頃に起きる僕を楽しみにしていてほしい。

 

朝、目が覚めると、なぜか泣いている。某の名はの書き出しである。「某の名は」ってなんか時代劇っぽいなというのは置いておいて、全く別の理由であれ朝泣きたくなる僕にも、朝起きたら女の子になってたくらいのご褒美があってもいいと思う。なお現実の自分は哲学的ゾンビ半端手前のフリーターで、朝起きたら女の子になっている可能性よりも朝目覚めずそのまま来世へ送られる可能性の方が圧倒的に高いので、やはり朝、目覚めると、なぜか泣いているべきなのは、きっと僕の方なんだと思う。

 

ところでそろそろタイトル回収のために日記即ち今日の出来事を書くべきなのだろうが、今日は起きてコンビニでバイトして帰ってゲームをして今これを書いているだけなので書くことがなかったりする。起きたら女の子になってましたと報告する日記を早く書きたい。おやすみなさい。

日記(8/11)

白状すると、最近のタイトルが全部「日記(日付)」なのには訳がある。タイトルにうんちをねじ込むことに疲れたのだ。うんちは出すものであって入れるものではない。ところでこれはどうでもいい話だけどうんちする様子を逆再生したらお尻にうんちが吸い込まれていくように見えて面白いんじゃないかなと思った。

 

コンビニバイトも残り2回で終わり。早く退職したくて仕方ない。財布を出すのが遅いとか、早口で何言ってるか聞き取れないとか、本当に些細なことでイライラしてしまってしんどい。常連面してるクソは自分が頻繁に訪れる災厄である自覚を持ってほしい。「タバコ」じゃあないんだよクソボケ。先生はタバコじゃありませーん。残り2日をなるべく健やかに終えられることを心から望む。明日もコンビニバイトなのでAmazonでショットガンを買いたい。

 

疲れたし書くこともないので今日はこれで終わり。誰かsteamのモンハンワールド買ってください。

 

日記(8/10)

今日は13日ぶりにバイトのない日であったわけだが、どういうわけか引っ越しの手伝いをしてきた。コンビニの相方だった韓国人留学生くんに頼まれてしまったのだ。いつも勤務中にタバコを吸いに行かせてもらっていた恩もあったし、単純に仲のいい相手からの頼みだったので断る理由もなかった。まあこの時は13連勤の翌日に引っ越しの手伝いをすることになるとは思ってもいなかったわけだが。

 

引っ越しとは言ったものの家具付きの部屋から家具付きの部屋への引っ越しだったので段ボール数個と細々とした荷物と自転車を借りてきたミニバンに詰め込んで運転するだけの作業だった。スキャナーとハンドルより重いものを持たないアルバイトをしてるフリーターに段ボールの山は少し重すぎた。肩が死んだ。

 

引っ越し用に借りたミニバンを返却し帰宅、昼寝の後再び車を借りた。ドライブがしたかったのと、スーパー銭湯に行きたかったからである。借りたのはスバルのXV、乗ってみたかった車が近くで借りられてよかった。

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温泉で有名な草津ではない方の草津(滋賀県)のスーパー銭湯に向かう。2ヶ月ぶりくらいに湯船に浸かり、ついでにマッサージチェアに座ってしまった。

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琵琶湖大橋を渡り道の駅で一服。

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琵琶湖の南側をぐるっと回って帰ってきた。今回は時間とお金と体力の都合でこういうルートになったが、次は琵琶湖を一周したい。それと夜景が良さげだったので夜景スポットにも行きたい。同行者求む。

 

そういえば毎回うんちの話をする僕であるが、実際のところそろそろこの芸風をやめたいと思っている。それでも僕がうんちの話をやめないのは、僕がうんちの話をする奴だと周りから思われていると思っているからだ。うまく説明できないのでこれ以上書かないけど、そんな感じのことを温泉に浸かりながら考えていた。そんな奴は培養液に脳みそ浸けてればいいのにとこれを書きながら思った。

 

さてさて、実は今回は初めて自分がどこかへ行くために車を借りたのではなく、乗ってみたい車に乗るために車を借りてそのために行き先を選定した旅行だった。レンタカー屋でバイトをしていると何種類かの車を毎日運転することになるのだが、そのうちまだ乗ったことのない車に乗ってみたくなったのだ。そのためにわざわざ少し遠くの駐車場から車を借りてわざわざ他県のスーパー銭湯に向かったのである。

今回はそんなドライブ企画の第一弾としてスバルXVを借りてみた。見た目が好みだったのと、バイトで乗るのは日産マツダトヨタあたりがほとんどでスバルの車に乗ってみたかったというのが理由だ。スバルのイメージとしては「走り屋」「オタク」「アイサイト」あたりを抱いていたが、そういう人種が好みそうな走り心地でいつまでも運転していたいくらいだった(ちなみにアイサイトは搭載されていなかった)。レンタカーを借りる時は色々な車を試してみると運転がもっと楽しくなると思う。運転があまり好きではない人はお高い車を借りてみるといいんじまないだろうか。高いものには大抵の場合相応の理由がある、はずだ。まあ別に無理をする必要もないんだけど。

 

人生は車の運転に似ている。アクセルを踏み、ハンドルを切り、時にはブレーキを踏む。周りの車に流されながら自分の目的地を目指す。心のバッテリーが切れてしまわないように、定期的にドライブに行きたい。次はどこに行こう。

そんなわけで身体も心もリフレッシュした1日だった。まだまだクソみたいなフリーター生活は続く。明日からまた頑張るぞい。

 

日記(8/9)

13連勤が終わった。明日は久しぶりの休日、なのだが用事があって身体を休められるかちょっと自信がない。スーパー銭湯的サムウェアでのんびりしたいなぁと思う今日この頃。用事の後から行けそうではあるからお金と相談かなぁ。

 

最近寝ても覚めてもお金のことを考えている気がする。恋とかそういう明るいことではなくいくら働いても足らんなぁという切実なフリーターの悩みである。家賃、光熱費、通信料、食費、雑費、貯金、などなど。一人暮らしをやめたいなぁと思うようになった1ヶ月であった。とはいえ実家は空中分解し、同棲相手もいない身なので如何ともしがたい。オタクとシェアハウス的な生活をしてみたい気もするけれど、途中でどちらかかあるいは両方が耐えられなくなりそうなのでこういうのはオタクとシェアハウスしたいなーって言ってるだけなのが健全なんだと思う。給料の使い道を考えている時、そろそろうんちがしたいなと思う時、どの台を打とうかなとホールを徘徊している時、どこの消費者金融からお金を借りようかなと考えている時が一番楽しいのに似ている。一度始まってしまえばそれは始まってしまった現実として粛々と処理するしかないのだ。

 

自分の考える楽しいことがほとんど楽しそうでないことに軽く絶望したが、それでも死んでない以上は生きていくしかないんだと思ってる。一日一善、一日一便。コツコツ頑張っていきたい。