あいあむあいえむ

幸せになりたい。

日記(8/13)

今日も今日とてバイトだった。昨日の日記に書いたように、泣きながら8時に起きた。明日の僕がバイト先に向かう途中で10億円入ったアタッシュケースを拾いますようにとか書いておけば実現するかもしれないので書いてみる。明日の僕がバイト先に向かう途中で10億円入ったアタッシュケースを拾いますように。別にアタッシュケースとかアタッシェケースとかなんか銀色の鞄とか色々な呼び方があるあのアレじゃなくてコンビニのレジ袋に入ってても全然構わないので、とにかく10億円くらい拾いたいなぁと心から思う。

 

もういい加減バイトの話も書くことがなくなってきた。新しいバイトを始めて1ヶ月、まあ順調と言えると思う。ストレスフリーなルーチンを回すだけでお金が頂けるのであれば僕にとってこれ以上の仕事はない。終わり。

 

ところで先日PC版が発売されたMHWを買ってしまった。やりたいなぁって言いながら買ったのに、全くやる気が起きないのはなぜだろうか。こんな調子で何本もゲームを積んでいるのだが、DL販売のゲームの山は目に見えないのがいいところであり悪いところでもあると思う。物理的に邪魔にはならないが、物理的に楽しむことが出来ないとでも言えばいいだろうか。トイザらスでゲームソフトを買い、そわそわしながら家に帰り、封を破ってソフトと説明書を取り出す時の、あの感覚がそこにはない。別にゲームに限らず、本、CD、紙とペン、そういったものがどんどんデジタル化されていく中で、アナログ特有の価値が失われていく。デジタルの利点とアナログの歓びを天秤に掛けたとき、どちらに傾くかは個人の価値観によるだろう。自分は今後も様々なモノを実体のない形で手のひらの中に押し込んでいくだろうが、子供の頃に感じていた気持ちはいつまでも心の片隅にしまっておきたい。

 

そういえばTwitter電子書籍化の弊害として「親の本棚が家庭から消えること」を挙げるツイートがバズっていた。祖父母の家にも実家にも「親の本棚」がある環境で育った自分としては全面的に同意できる。僕は中高時代は某中古書店チェーンで100円の小説を買い漁っていた。小説を買ったお金は親が出してくれていた。自分がそこそこの大学に入れたのは両親の教育方針が良かったからだと思う。ちなみに自分が大学をやめる半歩手前まで来てしまった点については両親に非はないので、自分の場合は「育て方は間違っていなかったが育ち方を間違えてしまった」という感じなのだろう。心がしんどい。

 

何を書いても最後自虐に繋げて適当にオチをつける癖がつく前に真人間になりたいと思った。おやすみなさい。