あいあむあいえむ

幸せになりたい。

日記(8/8)

商品をレジ袋に入れてから「袋いいです」とかほざきやがるクソ野郎は小学校で『魔法の筒』を『サイクロン』で無効にできないと教わらなかったホイ卒の可能性が極めて高い。そんなに自分の買ったものが袋に入れられるところを見たかったの? 新しいタイプの性癖なの? 接客業の世界は奥が深い。

 

さてそんなわけで今日はコンビニ勤務だった。前述の通り僕の勤務先のコンビニの客はなんというかアレな人が多いのでコンビニは接客業ではなく介護職なのではないかと常々考えている。震度6でも民度0の土地は過酷なのだ。ところでアメリカのコンビニには銃が置いてあるらしい。理由は言えないけど僕もアメリカのコンビニで働きたい。

 

バイトを掛け持ちした結果、1ヶ月のうち休みの日が4日という事態になってしまった。6連勤、休み、6連勤、休み、13連勤、休み、6連勤の1ヶ月である。コンビニは夕方からだしレンタカーも午後からのシフトが多かったので幸いなんとかやれている。現在13連勤の真っ只中だがそれも明日で終わり、身体の方は概ね健康だ。ただ精神の健康は損なわれつつあると思う。「温めますか?」に対してハイとしか言わないカスには弁当と電子レンジを投げたくなるし、未だにマイルドセブンが売ってる時空からやってきたタイムトラベラーには火をつけたくなる。小声早口マンは舌を噛んで苦しめばいいし1時間で3回もトイレの場所を訊いてきたキ◯ガイは便器にハマればいいと思う。要は些細なことでイライラするようになってしまった。強く生きたい。

 

コンビニの愚痴ばかりで恐縮なので少しうんちの話をする。例えばの話だけど、うんちを食べている人がいたらどう思うだろうか? 恐らく大多数の人はドン引きするはずだ。大多数の人はうんちを食べるのは「普通ではない」と考えているからだ。では、肉を食べている人を目撃した場合はどうだろうか。もしかしたら菜食主義の方は怒り狂うかもしれないが、ほとんどの人は「普通」のことだと思うはずだ。個人の嗜好に関してどこまでが「普通」でどこからが「普通ではない」のか。100人のうち51人が「普通ではない」と考えていることは「普通ではない」のか。そんなことをレジの前でアホ面晒しながらぼんやりと考えていた。僕がしたかったのはこういう話であって決して僕がこっそりうんちを食べているとかそういう話ではない。

 

汚い話をしてしまったのでお口直しに今日食べたアイスの写真を貼って今日はおしまい。明日は明日の便が出る。明日も頑張るぞい!

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日記(8/7)

何か書こうと思ってタイトルを考えに考えた結果特にいいアイデアも出てこなかったので雑に「日記」としてしまった。ネーミングセンスがある人はすごいなあと小学生並の感想を抱く。日記に「日記」というタイトルをつけてしまう人ばかりになると、iPhoneもGalaxyもXperiaも全部製品名が「スマートフォン」になってしまう気がするので人類諸兄におかれましては感性を大切にしていただきたい。

 

さて今回何か書こうと思ったのには2つきっかけがあって、1つはTwitterでネタを募集したところ、これまで行った先でまだ書いてない旅行について書いてほしいと言われたこと。いいアイデアだと思ったし書きたいとも思ったけど、いざ書こうとすると旅行記ってライブ感が大切な気がしてどうにもうまく書ける気がしない。あんまり写真も撮ってなかったし文字で延々と旅程と簡単な感想を添えて終わっちゃいそうなので申し訳ないけど今回は保留ということで。今後旅行に行った時は何かしら書くから許して。

もう1つは室蘭のスロプロ様とSkypeでダラダラ喋ってた時にブログ書きたいねーみたいな話をしたこと。だからこうして前書きが半分くらいあるブログを書いているわけで。

 

Twitterと比べて、ブログのいいところはまとまった長さの文章を誰にも邪魔されず書けることだと思うけど、長い文章を書くには単純にある程度時間がかかり、ある程度全体の構成を意識する必要があり、ある程度推敲する必要がある。なんとなく何か書こうと思ったときにはこれがすごく面倒くさいなぁと感じる。結果的に3日で無産市民に戻ってしまった。

 

室蘭さんと話したことは人生を踏み外してしまった嘆きみたいな内容が大半だったのだが、お互い大学からドロップアウトした理由の一つに「将来の目標、夢がなかったこと」を挙げた。大学は就職予備校だと嘯き、やりたいことは入ってから見つけると宣い、やりたいこと以前にやるべきことすらよく分からないままドロップアウトしてしまう、それが自分だった。長期的に何かに取り組む時はまずゴールテープを張っておこうと反省した。

 

相変わらずまとまりが無いし日記ですらない駄文を生産してしまったが、うんこ製造機よりは駄文製造機の方がマシかなと思う。ここはインターネット、感情のボットン便所。今日も駄文を垂れ流し、電子の肥溜めで腐臭を放つ。

うんち、下からうんち?横からうんち?

1000000000000000000000年ぶりに花火を見た。見たと言ってもバイト抜け出してちょっと眺めてたくらいなんだけど。久しぶりに見た花火はすごく綺麗で、どうして僕は花火の音を聞きながら延々とレジを打っているんだろうと悲しくなってしまった。来年はトイレでタバコを吸いながら花火を見たい。

 

思い返してみると学生時代に友達と夏祭りや花火大会に行った記憶がない。そもそも友達と呼べる相手がいたのかどうかも怪しい。どこまでが他人でどこまでが友達なのか。友達っぽい付き合いをしてるように見えてお互い都合よく付き合ってるだけなのではないか、卒業するまでの関係だしまあええか、とそんなことを考えてる嫌な奴だった。反省を活かして大学入学後の顔合わせ的な場で誰とも話さずにいたらぼっちになってしまい、最終的にいない人になってしまった。頭が悪いんだと思う。

 

まあそんなことは今更どうでもよくて、来年の夏は花火を見に行きたいなあと。ちょっと田舎の、規模の大きすぎない花火を、ちょっと遠くから眺めたい、そんな感じ。

8月のうんち

今年度は頑張るぞ〜wとか言ってたら履修登録さえ出来ずに終わった4月からニート暮らしを続けてたら8月になってしまっていた。いい加減なんとかしないといけないなぁと思ってとりあえずフリーターにジョブチェンジしたのが7月中旬、まだ1ヶ月経ってないけど早くも力尽きそう。新しいバイト先がなかなかいい感じなのでコンビニをやめてこっちで頑張っていきたい。

 

さて本格的にフリーターになり、大卒→就職という人生のレールから完全に脱糞…じゃなかった脱線してしまうと、これまで漠然としたものであった将来に対する不安が現実感を伴って纏わりついてくるようになってしまった。不登校大学生の抱える不安感というものは卒業であったり就職であったりといった類のものであり、言ってしまえば当面の問題ではあるのだが、フリーターになってみると10年後20年後のことばかり考えてしまうようになった。10年後も自分はフリーターなのだろうか、そもそもそれまで生きていられるのだろうか、貯金する余裕はないので働けなくなれば即ち死である。まあ別に最悪死んでしまってもいいやとは思ってるものの、フリーターとして生きることすら出来ず孤独死という結末は避けたいとも思う。

 

10年後と言わず、自分が30歳になった時、同年代の人間は普通に会社に居場所を作りそろそろ結婚とかしたりして苦しみながらも人生を謳歌していることだと思う。対して自分はどうだろうか。大学からドロップアウトしてしまった人間の大半にロクな人生は待ち受けていない。もし自分が30歳まで生きていたとしてもその生活は今と大して変わらないと思う。そんな何も変わらない10年後のために連日バイト先に向かう生活に意味はあるのだろうか。

 

振り返ってみると自分は大学受験のために中高一貫の私立校を受験し、就職のために大学を受験した。今の自分は大学を中退しフリーターとして生きていこうとしているがその生活に未来はない。これまでの人生にもこれからの人生にも意義を見出せない。何のために自分は生きてきて、生きていくのか。横になった時やシャワーを浴びている時、ふと頭によぎってはつらくなる。そして何よりも絶望的なのは、こうした現状にあってなお頑張って大学を卒業しようと努力できない自分自身だ。ここまでサボり倒してきた人間が今から最後まで努力出来るはずもなく、そもそも努力しようという気が湧いてこない。完全に人生諦めモードになってしまった。来世はフンコロガシになりたい。

 

まあそんなこんなでフリーターとして生きていくことになった。当面フリーターとして働いてある程度普通の人みたいな生活に慣れたら高卒としての就職も視野に入れていこうかなと。バイト漬けの日々が続くけど体調に気をつけて頑張っていきたい。それから一点だけ意図的に伏せてる事があるけどそれには触れないでいただけたら嬉しいです。それでは。