あいあむあいえむ

幸せになりたい。

うんち(9/5)

文章を書くのは難しいなぁといつも思いながらこのうんちを書いている。難しいと感じる理由はいくつもあるのだが、その理由の1つは使う言葉を選ぶ難しさだ。例えば同じものについて書く場合「うんち」と書くのと「うんこ」と書くのとでは表現として別のものに感じるはずだ。「うんち」と「ウンチ」でもそう。僕は自分の書きたいことを100%書くのではなく60%くらいしか書かないことが多いのだが、30%しか伝わらなかったり-60%の内容と受け取られても困る。何気に気を遣って書いているのだ。

 

さて、昨日のうんちでは書きたいことが意外と多かったりする的なことを書いたのだが前述したことはその1つだ。他にもいくつも書きたいことはあるがネタ切れになっても困るので温存しておこうと思う。そんなわけで今日は文章を書くことについて書く。幸いこのブログは「クソみたいなブログ(ダブルミーニング)」「和式便器からはみ出したうんち」「うんち味のカレー」などと読者からは大変好評だ。タイトルの通り、このブログはうんち即ち排泄行為である。思ったことを文章という形で電子の大海に排泄している。僕にとって、ブログについて褒められるのはうんちを褒められるのと同じだ。もっと僕のうんちを褒めてほしい。

 

本題に戻って、文章を書く話だ。「宝くじで3億円当てたい」と同じくらい言われていることだと思うが、「文章にはその人の考え方や教養といったものが滲み出る」話について。「やっぱ文章には書く人の性格が出るよねー」的な話ではなくむしろその逆。「頭の悪そうな文章を書くと頭の悪い奴だと思われるから頭の良さそうな文章を書こう」と意識しているという告白だ。文章全体の構成、内容と表現、同じ言葉の繰り返し、誤字脱字(見直してもよくある)、そういったことが気になって仕方ない。自意識過剰みたいで正直恥ずかしいのだが、人に自分のうんちを見せるというのはこういうことではないだろうか。誰だって自分をよく見せたいし悪いところは見せたくない。ましてや書いた人の性格が現れると言われるものなんて必死に取り繕わないと見せられたものじゃない。他の人がどう思ってるかは知らないけど僕はそう思いながらこうしてうんちをしてる。綺麗なバナナうんちだけをお届けしたい。

 

そんなことを書いた上で1つ言いたいのは「人のうんちを笑うな」ということである。僕には僕の、貴方には貴方のうんちがある。僕のうんちは僕だけのもので、貴方のうんちは貴方だけのものだ。どうか自分だけのうんちを大切にしてほしい。以上、本日のうんちでした。